フリーハグをして【気付き】

前回はフリーハグのだいたいの流れについて、体験談として書いた。

今度はそれをしながら、どんなことを考えたか、どんなことに気付いたか、うわーっと書きたい。ある程度まとめるつもりだけどたぶん、まとまらないから箇条書きで。

 

 

1.あえて、好奇の目に晒されるようなことをしたことがあるか。

 私はなかった。どちらかと言えば、地味に、目立たないように、周りに溶け込んで生きてきた。そのため、これまでの学生時代はおとなしく、そのやり場のないアイデンティティはお絵かきにつぎ込んだ。

 でも、どこかでずっと大人しくみられる自分に違和感を持っていた。私って大人しいばっかりじゃないよ。なんで決めつけるの。

 本当の自分ってなに、って悩んだ時期もあった。けれど、それは学校が進んでいくにつれて少しずつなりたい自分に改善した(楽じゃなかったし、周りのおかげもあると思う)。

 少し脱線したけど、そんな自分があえて公の前に立ち、人に注目される文言を掲げたことは自分にとって大きな一歩だった。大衆の一部として行動選択をしてきた私だったけれど、そこから飛び出した瞬間だと思う。

 それはめちゃめちゃこわかった。群れに後ろ指さされるかもしれないし。もうそっちには戻れないかもしれない。戻れないとして、行く当てもない。でもそんなことはなかったんだよね。群れってなんか悪い言い方したけどそんなものはなくて。そう決めつけていたのは自分の方だ。

 

2.強い信念をもって。

 1でも書いたように、悪く思われるかもしれないっていう被害妄想をしていた。実際、フリーハグをしていると、「よーやるなぁ」っていう声も聞こえた。男性の「え、いいの!?」という反応もあった。

 想像はしていたけど、やはり突然そんな人がいたら怪しく思うのは当然だし、なぜ?って思われただろう。違う目的でとられたりもしただろう。別にこっちだって、見知らぬ人にハグをせがむほど飢えてねーよ。

 そういう誤解を受けるのは確かに怖かった。でも、自分の中でなぜやろうと思ったのか。どういう目的があるのか。それがはっきりさせておいたので、どう思われようとよかった。誤解をされ、叩かれたって、私の真の理由を知ったら絶対に納得してくれる自信があったから。私はきっと間違ってないって。

 

3.ハグした人、80人

 この数字を多いと思ったか。少ないと思ったか。比較対象がないのでわからないが。ただ、この日は祇園祭で私の前を通った人は何千人とかいたんじゃないかと思う。そう考えると本当に一握り。世間ってせまいって思うことが多かったけど、やっぱり、世間は広いって思わされた(当たり前)。

 でも、そのなかでハグをしてくれたり、興味を持ってくれたりしたのは本当にうれしかった。ハグしにくる人もある意味では注目されるし、それを気にした人もいたはずだ。でも、おかしなことって決めつけず、応援してくれる人もちゃんといた。その人数が、80人。

 

4.与えるよりも、むしろ

 私は目的のひとつに、私の頑張っている姿を見せて他の人を勇気づけたいというものがあった。これは正直達成できなかったかもしれない。なぜなら、私が勇気づけられたから。ハグだけじゃなくて、たくさんの愛と自信をもらった。そして、もっと頑張ろうと思えた。ありがたいなぁ。私、まだまだだなぁ。

 

最後に

 こんな殴り書きの、自分の覚え書き程度の文章を、もしここまで読んでくれる人がいたのなら、心より感謝します。ありがとうございます。